日本ピラミッド 2008.5.11 日帰り旅行記 広島県庄原市の葦嶽山は、日本ピラミッドとも呼ばれ、世界最古のピラミッドという説もあるミステリースポットです。ウチのサークルはミステリー・オカルト好きのメンバーが複数名いる事もあって、親睦と運動不足解消を兼ねて登山に行って来ました。 15年くらい前に一度登っているボクがガイドになる予定でしたが、地元庄原出身のFさんが下見をしてくれていて、たいへん助かりました。前回とは別の登山ルートを登った事もあって、ボクはほとんどガイドとして役に立ちませんでした。(苦笑) それにしても、その日はカーナビの位置表示がルートからズレまくり。ディスプレイ画面上では道の無い所を走っています。我々の訪問を拒む神々のメッセージとでも言うのか?(登山はキツいので、中止もアリかな?と思っている) 東広島市を出発し、1時間半ほどで庄原へ。ここは1970年代に比婆山連峰で何度も目撃されたUMA(未確認生物)、ヒバゴンで有名な場所でもあるため、お土産屋さんのそばにはこんな像も有ったりします。 こちらは菓子司処 大国堂さんの銘菓「ヒバゴンのたまご」用に描かれたイラストですね。お土産屋さん(兼食堂)で、みんなはコーヒー休憩。ボクはざるそばを食べました。「ヒバゴンのたまご」も買い求めました。 履行も難しい細い山道を登っていたその時、突然ドライバーM氏が異変を訴えた。「あー、パンクしたわ。」神聖な山に立ち入った我々への警告なのであろうか?!(今なら引き返せる、と思っている。)という訳で、メンバー総出でタイヤ交換。スペアタイヤがどこに入ってるのか、結構わかりにくかったです。車の説明書が積んであって助かりました。 駐車場に到着。休憩を除けば、出発から2時間半という所でしょうか。すぐそばには坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」の詩碑が。熊本の方だそうですが、この詩碑は全国にある様です。 ここから先は車の進入禁止。徒歩で山頂を目指します。気を利かせたメンバーは、クマよけの鈴を持参してました。 平坦な道はすぐに終わり、アスレチックの様な感じになってきました。出発から5分で息が上がり、ヒザはガクガクです。特にキツい所を撮影しておけば良かったですが、手を使って登るためカメラを構える余裕無し。 登り降りを何度か繰り返し、鳥居のある所に出ました。「奴国乃大王」と書かれています。この正面に山頂が有るのかな? 鷹岩と名づけられた岩。巨石文化らしくなって参りました。ゼエゼエ言いながらも高まる期待。山頂はもうすぐです。 駐車場から25分、山頂に到着〜。ピラミッド型の山なので、平らな部分はごくわずか。10人も座ればいっぱいです。昔はここに直径3mの太陽石が有ったのだとか。とにかく体力の限界ですから、説明を読むよりもまず、座り込む様に休憩。 呼吸と心拍数が落ち着いてきた所で、メンバー一同で記念撮影(違)。「また妙な物を持ってきて。」「って言うか何なのその箱は!」「ちびうさですが何か?」リュックに入れるのにサイズが手頃だったもんで。 という訳で左から、K君、Mさん、Fさんです。(だから違うって) さて、ここはピラミッドの頂上であって、ピラミッドを拝む拝殿に行かなくては、巨石群を見に来た意味が無いのですが、拝殿(隣の鬼叫山)に通じる道は、すべり落ちそうなほど急な坂。案内板によると、わずか150メートルなんですが・・・「どうする?」「ここで引き返すのも勇気だけど」「でもまぁ、せっかくだから」しばらく相談の上、意を決して、目前の鬼叫山へ。これまでにないアスレチックぶりです。靴が滑るのなんの。 ほう、ここが拝殿ですね。あ、休憩所でしたか。15年前は別ルートから、ここに到着する道を登って来たんでした。 休憩所のそばには案内板が。ここでは葦嶽山と鬼叫山の距離は162メートルとなっていますね。書き込みによると、わずかこの距離に合計9分かかると書かれています。 再び出発して、すぐにドルメン(供物台)に到着しました。 ここから上は、文字通りの巨石群。初めて来るメンバーたちも、人工物っぽい岩の数々に興味津々の様子。 中央が鏡岩だと思います。 十文字にミゾが切られた方位岩。東西南北を指すと言われながら、実際は夏至線と一致しているとの事。説の通り2万3千年前から有るとすれば、その間に地軸の移動が有ったんじゃないかとか、そういう考察も必要なのかも知れませんが。 まあ細かい話は学者や研究家に任せて、人口物っぽく見えるだけでボクらは満足なのであります。人が作ってもロマン、自然に出来たとしてもロマンです。 巨石群を見学していると、何やら人の声が近づいてきます。それは大半が60歳以上と見受けられる、登山愛好家らしい団体さんでした。20名くらいでしょうか、装備も本格的、誰も息を切らせていません。改めて自分たちの体力の無さを痛感・・・。 人目があるので中止しましたが、「記念撮影は変身ポーズでしょ」なんて話をしていた事はナイショです。 鏡岩の横を通って下に降りれる事は、前回来た時には気付きませんでした。団体さんの流れに従って、初めて下から目にする大石柱、神武岩。大石柱は他にも有ったそうですが、神武天皇の財宝が埋まっているという噂が流れ、大正初期に宝を探す人たちが倒してしまったとの事。もったいない話です。 ここも人工物っぽい雰囲気が良いですね。 ひと通り見て回ったので、山頂を通って車に戻る事にしました。頂上に到着したのが、ちょうど正午ごろ。登山愛好家の皆さんは、山頂とその周辺の山道脇でお弁当タイム。いい時間に合わせて登って来られるあたり、行き当たりばったりのボクらとは格が違いますね。 ちょっと離れた所にも岩が転がっていることがあります。破壊の跡でしょうか? 帰りは下りという事もあって、行きよりはスムーズ。急な下り坂で止まらなくなりそうな場面も有りましたが。あとはこの平らな道の先に駐車場が待っています。「こうして、我々の挑戦は終わった。多くの謎を秘めたまま、古代人の残した巨石群は、確かにそこに佇んでいた・・・」みんなの頭の中で、ナレーションとBGMが流れるのでありました。 「で、次はどこへ行く?ツチノコ探し?ヒバゴン?」「ええー?何度も行かないッスよ、キツイし。」「きっと明日は筋肉痛だし。」なんて話していると、道のすみっこを、ずいぶん痩せたツチノコが。「マムシに注意」は本当でした。 「そういえば、どっちの方角から見てもきれいな三角形をしてるって聞いたけど、どこから見たら三角なんだろうねー?」「あれ?見なかったの?拝殿からきれいな三角形に見えたよ。ねえ?」「うん、見えたよなぁ。」「見えましたねぇ。」・・・ボクだけ見てなかったのでした。あとで写メール送ってもらいましたけど。 「やれやれ、何とか歩けたなあ。」と車が見えてきたその時、登山前には表側しか見ていなかった「念ずれば花ひらく」の詩碑の裏側に、文字が彫ってあるのを発見。 「一九九九年 九月 九日 九時 九分 九秒 九・・・」建てられた日付にしてはケタが多すぎ。いや、コンマ1秒の正確さで建てられたのか? 「アスカ先生にはこの暗号の謎を解いてもらわねばなりません。教授もそれを望んでいます!」 彼の名はミスター・カトウ。謎の組織からのメッセンジャーである。 (以下妄想は続く)・・・好きなんですよ、ネオ・パラダムASUKA。 東広島に到着すると、打ち上げを兼ねて、ねぎラーメンで栄養補給。ニンニクを入れつつ「明日に疲れが残りませんように・・・」と願います。それにしても、ここの大盛りはハンパじゃありません。ボクは普通サイズ(左)を注文。 解散後は、帰りに立ち寄った三次ワイナリーで買った黄金のプリンを食し・・・ 翌日は職場のティータイムにヒバゴンのたまご。覚悟していた筋肉痛も無し。またいつか行って、今度こそ三角のシルエットを生で見てみたいと思います。 2008.6.7 健 竹史
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